山梨と『人国記』
成立年や作者は分かっていませんが、室町時代とも言われる昔に書かれた、その土地の風土などから人々の精神性や気質を解析した『人国記』は、甲斐国の戦国武将武田信玄の愛読書として有名です。
以下は、甲斐国(山梨)の人々についての文章の全文です。
甲斐国の風俗は、人の気質尖(するど)にかたくへなり。意地余国を五カ国合わせたる程好ましからざる国にして、死することを厭はずして、傍若無人の事多し。
これに因(よ)って上は下を苦しめ、下は上を敬わずして、下臈(げろう)に少しの過ちあれば、主則ち(すなわち)これを罰し、主として下に非道あれば、大身は忠信を専らとして諌(いさ)めをなして、本意と云ふ二字を忘却して恨みを含み、小身下下は則ち憤を発して害を近く設け、すべて道理を弁(わきま)へずして無動なれども、その勇気甚だ切にして、死を事ともせずして健気なること、譬(たと)へば軍陣において親眼前に討たれぬれば、子これを見て、その死骸を踏み越えて共に討死を遂げ、子亦討たれぬれば、親亦かくの如し。
されば人の本は勇を以って初めとし、勇を以って後とす。然ればその機に当る人を遣はして、厳と威を正しくしてその正政を教ふるものならば、自然と道理に帰服することもあるべきか。その善一にその悪十なり。
この国、生沢の鮎、題目石は名高し。
現代語訳はないので、ざっくりとの理解になりますが、結構コテンパンに言われているように思います。
ただ、人情があるのは、「軍陣において親眼前に討たれぬれば、子これを見て、その死骸を踏み越えて共に討死を遂げ、子亦討たれぬれば、親亦かくの如し」の一節。戦において親が目の前で討たれれば子が共に討死を遂げ、子が討たれても親は同じようにする、とあります。
生沢は、現在の石和です。鮎が名産でもあり、また題目石というのは、日蓮上人が甲斐国を巡り布教の際に七つの石に「南無妙法蓮華経」と一文字ずつ書いた「経石」のことです。