〈景品表示法に基づく表記〉当サイトは、アフィリエイトプログラムを利用しています。

山梨県の雑学

甲斐国の由来

甲斐国の由来

甲斐国と言うと、現在のどこに当たるかご存知でしょうか。

正解は、山梨県です。

山梨県は、かつて甲斐国かいのくにと呼ばれ、別名甲州こうしゅうと言います。

現在でも、この名称は使われ、たとえば、山梨にある有名な塾は「甲斐ゼミナール」ですし、甲州ぶどうから作られるワインは「甲州ワイン」と言います。

甲斐国は、7世紀に成立したという話もあるようです。

また、山梨県のホームページでは、「8世紀」という記載もあり、正確にいつ頃成立したか、ということはよく分かりません。

山梨県の大地に人々の営みが認められるのは、約3万年前からです。原始社会は狩りや魚とり、木の実を採取する段階から、やがて米作りの段階へと進み、ムラが統合されてクニが形成されます。4世紀末から大丸山古墳や銚子塚・丸山塚古墳が造られ、甲府市中道地区の曽根丘丘陵に大きな勢力が存在していたことが伺えます。8世紀の山梨は甲斐国といい「山梨・八代・国麻・都留」の4群からなり、その中心は国府・国衛の地名や国分寺があることから、今の笛吹市春日居町、御坂町、一宮町付近にあったといわれています。

出典 : やまなしの歴史

甲斐という言葉自体は、『古事記』や『日本書紀』などにも見られ、甲斐国の名称の由来としては、諸説あります。


本居宣長が『古事記伝』において、甲斐国在住の門人萩原元克による、山と山のはざまを意味する「かい」に由来する、という説を採用し、この「峡」説が、甲斐国の由来に関する通説となっています。

一方、昨今では、「交ひ」=境界に由来する、という説もあります。

甲斐の枕詞「なまよみ」は、「半黄泉」と書き、甲斐国は黄泉の国への境界となり、この山々に隠れる地勢を、死者への国と認識して名付けられた、と国文学者の西宮一民氏は唱えています。

また、同じ語源で、「交ひ」に由来するものとして、歴史学者の平川南氏が提唱する説があります。

これは、古代の甲斐国が、官道である東海道と東山道の連結的に位置し、行政・交通上の「交ひ」であった、ということに由来する、という説です。

その他、古代甲斐が良馬の産地(「甲斐の黒駒」の伝承)だったことから、馬を「飼う」ということに由来する、という話もあります。

甲州は、明治元年、甲斐府から甲斐県を経て、明治4年11月20日に山梨県となります。

なぜ甲斐が山梨県という県名になったのでしょうか。

どうやら、甲斐国の中心地である甲府が属していた当時の郡名が山梨であったことから、山梨県となったようです。

山梨は、平安時代には「夜萬奈之」「山無」という表記も見られます。

この「山梨やまなし」という名称は、江戸時代に甲斐国で育てられた代表的な果物を指す「甲州八珍果こうしゅうはっちんか(ブドウ・ナシ・モモ・カキ・クリ・リンゴ・ザクロ・クルミまたはギンナン)」の一つである「梨」が多く成ったことに由来する、という説があります。

他には、甲府平原に山が無いからという説、山麓を引きならして田畑を開き、村落となったのを山平やまならしの郷とし、この山平やまならしという言葉が「やまなし」となった、という説なども挙げられます。

ちなみに、山梨という地は、山々に囲まれた盆地ですが、「山なし」と読むことから、「山があっても山梨県」といった、冗談のようなフレーズをしばしば聞くこともあります。

以上、現在の山梨県に当たる、甲斐国の由来でした。

山梨にまつわる本