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山梨県の雑学

甲府市とは

甲府市とは

概要

甲府市こうふしとは、山梨県の真ん中あたりに、縦断するように位置する縦長の市で、山梨県の県庁所在地でもあります。

山梨県には、山梨市という市もありますが、県庁所在地は、甲府市になります。

甲府盆地の中央北寄りにあり、富士山から八ヶ岳、南アルプスまでぐるっと一望できる景色が魅力です。

面積は212.47平方kmで、南北の山の間にある平らな土地は“甲府盆地”と呼ばれています。市街地は甲府盆地の中心にあり、市内には荒川が流れ、御岳昇仙峡みたけしょうせんきょう芦川渓谷あしがわけいこくといった豊かな自然に恵まれています。

また、盆地の最も低いところを流れる笛吹川には、荒川をはじめ、市内のいくつもの川が流れ込んでいます。

出典 : 甲府市

甲府市の人口は、約19万人ほど(山梨県全域の人口は約83万5千人)で、2019年現在、全国の県庁所在地のなかで一番少ない人口となります。

山梨県は、東京の隣にある首都圏で、東京から甲府に向かう場合は、新宿駅でJR中央線の特急あずさや特急かいじに乗車し、一時間半程度で甲府駅に着きます(高速バスもあります)。

▷高速バスの時刻表

名前の由来

甲府という名称の歴史は、戦国時代に遡ります。


甲府は、1519年、甲斐国の守護大名だった武田信虎のぶとら(武田信玄しんげんの父)が、居館を石和いさわから川田、そして躑躅ヶ崎館つつじがさきやかた(現在の武田神社)に移した際、「甲斐国の府中(国の中心都市)」という意味で、「甲府」と命名したことに由来します。

そのため、2019年で、甲府は、開府500年となります。

特徴

甲府の特徴は、なんと言ってもその類を見ない山々の景観です。

甲府盆地の中心に位置し、見晴らしのいい場所からは、外をぐるりと囲むような雄大な山々を見渡すことができます。

甲府盆地を、ドローンで撮影した動画がアップされているのですが、その光景を見ると、甲府市の周囲の山々の様子がよく分かります。

空撮 甲府盆地上空 / Aerial view of kofu basin

作家の太宰治も、かつて自身の作中で甲府について次のように描写しています。

甲府は盆地である。四辺、皆、山である。小学生のころ、地理ではじめて、盆地という言葉に接して、訓導くんどうからさまざまに説明していただいたが、どうしても、その実景を、想像してみることができなかった。甲府へ来て見て、はじめて、なるほどと合点できた。

(中略)

シルクハットをさかさまにして、その帽子の底に、小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思えば、間違いない。きれいに文化の、しみとおっているまちである。

太宰治『新樹の言葉』より

太宰が甲府を訪れたのは、1938年のことでした。最初の夫人と離別し、文学仲間と遊興に耽る太宰を心配した周囲から結婚を勧められ、師である井伏鱒二を通じ、甲府市在住の石原美知子との縁談が持ち上がります。

太宰治、29歳、まもなく二人は結婚。新居を甲府市御崎町五十六番地に構え、甲府の生活はわずか8ヶ月ほどでしたが、この地を題材とした作品も残しています。

▷太宰治ゆかりの地を歩く

▷太宰治が描く甲府の小説『新樹の言葉』あらすじ

文学との関係で言えば、宮沢賢治の童話『風の又三郎』には、八ヶ岳を連想させる題材が組み込まれていると言われています。山梨は、宮沢賢治の親友だった保阪嘉内かないの出身地で、この地には、冬に八ヶ岳おろしと呼ばれる冷たい風が吹きます。

▷宮沢賢治のルーツを訪ねて 八ヶ岳権現社と風の三郎社

賢治自身は山梨を訪れたことはなかったようですが、嘉内を通じて山梨のことを聞き、想像を膨らませたのかもしれません。


また、『銀河鉄道の夜』も、嘉内が見たハレー彗星がモチーフになったと言われています。

保坂嘉内 ハレー彗星のスケッチ

1910年、甲府中学(現在の甲府一高)の寄宿舎で生活していた保坂嘉内は、当時地球に最接近したハレー彗星を眺め、その光景をスケッチとメモに残しています。

銀漢ぎんかんヲ行ク彗星ハ、夜行列車やこうれっしゃの様ニテ  遥カ虚空きょくうニ消エニケリ

嘉内は、『銀河鉄道の夜』のカムパネルラのモデルになっているという説が有力で、賢治にとってはそれほど大切な存在でした。

このスケッチに描かれた景色は、保坂嘉内のご子息が検討した末、旧甲府城内の一角で甲府中学校の寄宿舎があった場所の辺りから見たものだろう、ということが分かっています。

山梨県立文学館

その他、山梨県と文学の関係性を調べたい場合は、山梨県立文学館がおすすめです。

山梨県立文学館は、県立美術館と同じ敷地内にあり、甲府駅からはバスで15分ほどと少し離れた場所にありますが、美術館とともに、甲府の観光スポットの一つです。

▷山梨県立美術館、ミレーの本物の『落ち穂拾い』と『種まく人』

歴史年表

4〜6世紀頃 甲斐各地に古墳がつくられる(四世紀頃の古墳として、東日本でも最大級の甲斐銚子塚ちょうしづか古墳があり、鏡や勾玉まがたま、鉄剣も出土している)。その他、市内には、前方後方墳の小平沢こびらさわ古墳、前方後円墳の大丸山古墳、天神山古墳、円墳の丸山塚古墳などがある。

11世紀終わり頃 源義光が甲斐守となり、甲斐源氏の祖となる。

1180年 武田信義、安田義定らの甲斐源氏が、源頼朝に呼応して挙兵。

1519年 武田信虎が躑躅ヶ崎に館をつくる、甲斐国の府中「甲府」が始まる。

1521年 武田信虎の長男、晴信(信玄)が生まれる。

1541年 父信虎を隠居させ、武田信玄が甲斐の守護になる。

1553年 – 1564年 武田信玄が、北信濃の支配権を巡り、越後(新潟県)の上杉謙信と五度の戦。川中島の戦い。「川中島」という名称は、最大の激戦となった四度目の戦の舞台が、千曲川ちくまがわ犀川さいがわの合流する三角状の平坦地である川中島(現長野県長野市南郊)だったことに由来し、総称して呼ばれる。

信玄と謙信、一騎打ち像 長野市八幡原史跡公園

1573年 武田信玄、信州の駒場で死去。

1582年 信玄の息子武田勝頼が田野(旧大和村)で自刃し、武田氏は滅亡。その後、1585年、徳川家康が確保。1600年頃、甲府城が完成し、甲斐国は幕府直轄領となる。

1868年 明治元年、明治政府が甲斐国を甲斐府とし、翌年「甲府県」と改められる。1871年(明治4年)、甲府県が山梨県になる。

1889年 甲府に市制施行。第一回市議会議員選挙が始まる。

1903年 中央線の八王子 – 甲府間が開通。

1928年 富士身延鉄道(国鉄、のちにJR身延線)が全線開通。

1937年 NHK甲府放送局が開局。

1945年 甲府空襲。アメリカ爆撃機B-29による空襲で、7月6日深夜から7日にかけてだったことから「たなばた空襲」とも呼ばれる。市街地の74パーセントが焼失、死者は1127人。

1978年 ミレーの美術館として有名な山梨県立美術館開館。

1984年 甲府駅の新駅舎が完成する。

1986年 かいじ国体開催。

2006年 中道町、上九一色村北部と合併。

2019年 開府500年を迎える。

山梨にまつわる本