「ほうとう」の漢字と由来
ほうとうは、味噌ベースの汁に平べったく柔らかい麺(必ずしも麺の形状とはかぎらない)、溶け込んだかぼちゃが魅力の山梨県を代表する郷土料理です。

ところで、「ほうとう」は漢字で書くとどういう字か、ご存知でしょうか。
ほうとうという言葉そのものは、そのまま漢字変換はできませんが、一説によれば「餺飥(はくたく)」の音が変わったものが由来だと言われています。
餺飥は奈良時代の漢字辞書である『楊氏漢語抄』や院政期の漢和辞書にもあり、平安末期の段階で「はうたう」という読み方もあったことから、「ほうとう」という言葉の起源が相当古いものであることが分かります。
ほうとうは、古く中国から伝来したことは確かのようで、中国の方言でワンタンを指す「餛飩」が「ほうとう」という読み方であるなどの共通点も見られます。
ほうとうの由来について、山梨県内にあるほうとう屋「皆吉」のホームページでは、次のような解説があります。
中国の唐宋時代の餺飥(はくたく) 又は、不托(ほうち、ぷーとー)、不餅(ぷーとう)と言う言葉が語源と言われている。
日本には平安時代遣唐使により伝えられ、清少納言の枕草子に「前の立木高ふっ熟瓜(ほぞち)はうたう参らせむなど、とどむるを・・・」と読まれている。
甲斐の戦国大名武田信玄は、幼少の頃から中国の古代思想に憧れ、孔子や孟子の他、孫子呉子の兵法を学んで戦いに臨んでいたが、そのような中で高僧より教えられたという。
江戸時代中期元禄文化の頃になると、柳沢吉保が故郷甲斐国の大名となった。
その前後には将軍綱吉の好みにより、上方中心の文化から江戸中心の文化へ変わり、広く普及したといわれている。
また、同じく山梨のほうとう屋「ほうとう不動」でも、ほうとうの由来について解説があります。
その解説によれば、やはり中国の唐時代、汁に入れた麺を「不托」と呼び、これが「はくたく」と呼ばれるようになったとのこと。
枕草子に「はうたう」という言葉が登場し、平安貴族が食べていたのではないか、ということ。そして、その後、武田信玄が戦時食としてたっぷり野菜を入れたものが、甲州風のほうとうとして今に伝わっている、とあります(参照 : ほうとう不動、ほうとうの歴史と由来)。
この辺りが、ほうとうの由来として定説となっています。
一方で、「宝刀」や「放蕩」が語源だとする説もあるようです。