武田信玄の愛読書、昔の県民性を記す『人国記』とは

武田信玄の愛読書、昔の県民性を記す『人国記』とは

性格を表すものとしては、血液型や星座などの占いの他に、「県民性」というものが挙げられます。

テレビでも、各地の出身芸能人が出演し、ご当地の料理や風習、「あるある」と思わせる県民性などを取り上げるバラエティ番組『秘密のケンミンSHOW!!』は今でもお茶の間で人気。

お国柄という言葉もありますが、古くから「風土」というのは、その土地の人々の性格や考え方に影響を与えてきたと考えられています。自然との向き合い方から、信仰などが発展していくことも考えれば、これもあながちおかしなことではないかもしれません。

この「県民性」について詳細に記述した大昔の本に『人国記』という面白い古典の本があります。

大昔と言っても、いつ頃に記されたのかといった時期は明確にはわかっていません。一応は、室町時代末期(戦国時代)頃ではないか、と言われています。

この『人国記』は、その土地土地の人々の風俗や気風、人情、性格をまとめた、まさに今で言う「県民性」を綴ったもので、甲斐国(今の山梨)の戦国武将である武田信玄の愛読書でもありました。

武田信玄があるときこの本を読んでみると、自分がかねて遣いを送って調べさせた地域の人々の性格と、この『人国記』の記述とが一致しているということから重宝するように。


信玄が主の国であると考えた山城(京都府南部)、播磨(兵庫南西部)、伊勢(三重、愛知、岐阜の一部)、近江(滋賀県)、越前(福井県、岐阜県の一部)の五カ国に関する記述を抜粋し、扇に記すと、腰に指し、ときどき抜いては家臣に見せ、軍学のための夜の種として用いたと言います。

相手とどう戦うか、どう統治するか、というときに敵国の人々の性格などを調査するという点では、戦争時にアメリカが文化人類学者のルーズ・ベネディクトに依頼して書かせた『菊と刀』が有名ですが、同じような考えを武田信玄も持っていたのかもしれません。

この本は、その後、江戸時代初期に関祖衡が地図や多少の解説を追加し、改変。1704年に出版されていることが分かっています。

現在は岩波文庫から、この初期の『人国記』と、江戸時代の改変版『新・人国記』が一緒になった本が手に入ります。

一つ一つの地域については、文庫本で半ページから一ページほどで、残念ながら現代語訳は出ていません。読みづらい部分もありますが、割と雰囲気は掴める部分も多く、ずばっと辛口な評価もあり、自分の出身地域だけでも読んでみると面白いかもしれません。

以下は、読みやすい『新・人国記』のほうから一部を抜粋したものです。

山城国

当国の風俗は、男女ともに、その詞(ことば)おのずから清濁分かりよくして、たとへば流水の滞ることなくして、いさぎよきが如し。風俗は、その所の水土にしたがふものなり。この国の水の潔きこと、他国に並ぶことなし。かるが故に人の膚(はだえ)なめらかなり。婦人の容色ことに尋常なり。然(しか)れども、武士の風儀は、柔らかすぎて宜(よろ)しからず。されども婦人脱兎の勇といへば、強(あなが)ちにおとしむべからず。

出典 : 関祖衡『新・人国記』

甘口も甘口、べた褒めです。もしかして山城(京都南部)なので気遣いがあるの? というくらい、あとで触れる僕の出身でもある甲斐国(山梨)とは差があります。

男女とも、言葉の清濁が分かりよく(発音がよい)、流れる水のように滞りなく潔い。国の風俗はその地の水土にしたがうと言われるが、その国の水の潔さは他国と比較しても並ぶものはない。それゆえ肌も滑らかで、女性の美しさも素晴らしい。ただ、武士はちょっと柔らかすぎて、良くはない。が、女性には、まるで兎が逃げるときのような速やかな勇気があるので、やたらに侮ってはいけない。

京美人と言われますが、その印象というのも色濃く出ているのではないでしょうか。

次に、甲斐国(山梨)を見てみましょう。

甲斐国

当国の風俗は、人の気尖(きするど)にして、不宜に死することを厭はず、傍若無人の事多し。上は下を苦しめ、下亦上を敬わず。下に少し科ありても、主人甚だこれを罪し、主人非道に下を使へば、大身は早速これに叛(そむ)き、小身は怨みを含みて禍いをねがふ。総じて道理を弁(わきま)へざるなり。然れども甚だ強勇にして、死を顧みず、戦場の働き健気なりとぞ。

出典 : 関祖衡『新・人国記』

山城国と比較すると、甲斐国は、文化というより武士の国だったというのが伝わってきます(なかなかの言われようです)。

鋭敏(尖なひと=鋭敏で繊細な才能のあるひと)で、死を厭わず、傍若無人。上の人間は下の人間を苦しめ、下の人間も上の人間を敬わず。身分の低い者に少しでも過ちがあれば主人はこれを罰し、主人がひどい扱いを下の者に行えば、身分の低い者は怨みをもってわざわいを願う。道理をわきまえないひとびと。しかし、強く勇敢で、死を顧みず、戦場の働きは健気。

決して評判はよくないものの、この書物を信性が高いとして重宝したと言うのですから、逆に武田信玄の懐の深さを感じさせるような気もします。

甲斐国とちょっと似ているのが、安房国(千葉県南部)です。

安房国

当国の風俗は、人の気尖なること、へば刃の如し。常に頑なにして、人と和すること寡(すくな)し。男女ともに死を恐れず。(……)言語(ことば)こそ卑劣なれ、生得は道理あれば、一旦は尖にあれども、武士はそれ程の器(うつわもの)となり、農工商も、それぞれに力量あるなり。

出典 : 関祖衡『新・人国記』


甲斐国と同じく、気尖なること、安房国は「刃の如し」とまで言います。

常に頑固で、人と和を持つことも少なく、男女とも死を恐れず。言葉は卑劣であっても(言葉遣いが荒いということ?)、生まれ持っては道理があり、武士も立派な存在となり、農工商のひともそれぞれに力量がある。

上総国や下総国も、概ね同じとあります。

そして、ほとんど満点なのが、信濃(主に長野と、岐阜県中津川市の一部)です。

信濃

当国の風俗は、武士の風、天下一なり。百姓・町人の風儀も、健やかなること他国の及ぶ事にあらず。その生得義理強くして、臆することなし。仮令の雑談にも、弱みなる事を言わず。

出典 : 関祖衡『新・人国記』

もう完な国と言っていいのではないでしょうか。

武士は、天下一で、百姓も町人も他国の及ばないくらい健やか。義理堅く、世間話をするときでも弱みは言わない、と。

これは初期の『人国記』でも似たような文面なので、武田信玄が信濃を欲したのもこの本の影響が大きかったのかもしれません。

ちなみに、やけに信濃が絶賛されているので、作者は信濃の者ではないか、という「信州人著作説」は古くからあります。

以上、昔の県民性を記す『人国記』でした。